この世に生を受けて母体から分離して
生まれた一つの命同士
二人が一つになりたいと
いくら願っても
一つになれない
くっついてしまいたい
完全なる一個体になってしまいたい
その願いが
生命エネルギーなのだと
わたしは知った
神とわたしは
分離しているが
一個体になりたくても
完全なる一個体にはなれない
分離しているが故に
一個体になりたい
だから人にはS◯Xという方法が
あるのではないのかと思います
生命エネルギーを
単なる性エネルギーにしてしまった
穢れ
性エネルギーを性エネルギーのまま
捉えている限り
ここに覚醒の道はありません
生命エネルギーと
性エネルギーは
違います
生命エネルギーは
覚醒を迎えたのちにも
訪れるがそれは性欲ではありません
わたしにとっては
どこまでも一個体になってしまいたい
という精神欲である
ですから
精神欲とは
量り知ることのできない
変態性を秘めているとも言えましょう
覚醒を迎えたならば
単純な【性欲】に心揺れ動くことは
ないかと思います
わたしは
生命エネルギー=精神欲(心の欲)
だと
ただ…知りました
精神や神さまを
どこまでも愛してしまった者が
するS◯Xとは
生命エネルギーへの探究心であり
知識欲であり
それは性エネルギーを欲するのとは
まるで違うエネルギーなのです
では覚醒を迎えてしまったならば
S◯Xはできないのではないかというと
それは違う
やはり
この3次元世界において生きている限り
全てはいかにして【楽しめるか】にあるのだと
わたしは
思う
覚醒したら
楽しくはありません
覚醒したら
全てが至福ではありますが
決してそれは
楽しくはないのです
けれども
3次元世界は楽しむために
あるのです
覚醒を迎えても【楽しむ力】が
なくてはこの世はつまらない
ということです
覚醒をすれば
それが今知っているつもりのものではなく
【真】に府に落ち
わかってしまうということです
覚醒をしたら
欲は姿を消してしまうので
欲がなくなってしまえば
やはり自身の魂に在るものしか
残らないのだと思います
すなわち
この世を楽しく生きる術は
汝自身を知ることである
といえましょう
Tiara 陽子
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