わたしはまだ肉体年齢
36歳(ミロク歳)
まだ先に見ていく景色が
支度され今日も生かされておりますが
一人、ある一定のところまで
達したとき
苦悩は至福であったことを
知りました
至福とは苦悩であったのだと
知りました
あの時寂しくてよかった
あの頃人の気持ちが分かってよかった
あの頃たくさん傷ついてよかった
あの頃苦しくてよかった
あの頃病をしてよかった
あの時あきらめなくてよかった
あの頃歩いていてよかった
そんな時が必ず訪れる
幸福の更に上
至福とは苦悩であった
つまり
今日どこかで泣き悲しむ人は
苦悩に一歩近づくチャンスを得ている
ということです
わたしとは
苦悩と至福
クラシック音楽である
至福に達せば
苦しみを感じることがないのです
世が苦しみだと感じることが
わたしには苦しみであると
感じられなくなってしまったのです
苦悩は至福だった
至福とは苦悩であった
まだ生かされているから
生かされます
生かされ使い切って参ります
もうこれからは
愛を与えるだけの人
(↑ここに傲慢さはありません)
【与え方を考える人】
田無神社にわたしの愛する花
紫陽花が植えられていました
幸
2020年5月12日
Tiara 陽子
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