
もしもわたしが
明日死を迎えるとしたならば
こう言うのかなと思います
「スピリチュアルと神と探究心と共に
毎日を惜しむように生きました」
もしもわたしが明日死を迎えるならば
わたしの思い続けた
スピリチュアル界で願いが叶った
ことがある
スピリチュアルが怪しいものという
解釈がなくなり
スピリチュアルは皆の生き方を幸福に
しかしないということが
分かり始められたことです
時間はかかりますけれど
学び多ければお金はかからず
知っても失っても損がない
ということです
もしもわたしが明日死を迎えるならば
「はい。喜んで。お待ちしておりました」
と言える36年間を生きた
やりたいことは
たくさん残っているけれど
神の世界へと上がるため
愛する人の御守護をし
またその世界で修行を重ねたい
修行を重ねて何をしてでも
神さまと一緒にいたい
崇め、ずすがりつくことは
一切ないけれど
空の上で
てっぺんに行きたい
神様と一緒にいたい
Tiara 陽子
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